このように言われて、ガックリと肩を落とされる方がいます。
女性の方が目立ちますが、50代の男性でも見られる光景です。
苦労が多いほど、「その苦労が、無駄だったとは」と脱力するわけです。
誰にでもあることですが、失敗ってあるじゃないですか。
巧くいく事ばかりではないので。
問題なのは、その方の「苦労の価値」が、非常に高い場合です。
つまり、「あんなに苦労したのに!」と非常に重く受け止める方もいて、そのような方は「精神的なショックがとても大きくなりがち」なのですね。
山に登って、景色を見下ろすところでも、場面によって気持ちは変わります。
近所の丘の上からの景色と、富士山頂からの景色では、登った苦労は全く違うものだからでしょう。
そして問題は、「私の苦労には、とても大きな価値がある」と信じ込んでいる場合です。
この私がこんなに苦労したのだから、苦労した事には高い価値がなければ、苦労が報われないと考えてしまうからです。
ところが苦労の大きさって、「対比」でしかありません。
そういえば、「震災のときは、神戸から大阪まであるいた」なんて話を聞きましたが、それは震災だからであって、いまなら電車か車をつかいますよね。
わたしの苦労は、当時それはそれは大変だったでしょうが、もしお腹がいっぱいで広い温泉にでも浸かりながら、その苦労を思い出してみたら、同じ苦労を連想するのでしょうか。
現在の心地よさというのは、過去の不快を打ち消しやすいので、苦労の印象を軽めやすいので、苦労の印象も大分かわるでしょう。
過去の苦労は、現在の苦労の価値を上げがちになります。
過去に苦労したから、何でも苦労する、準備ができてしまっていると言えます。
健匠館では、過去の苦労を終わらせ、苦労の連続を終わらせることも可能です。
西宮市の健匠館なら、日々疲れるお仕事、日々困らせる家族の悩みなどを終わらせ、新しい日々を伝えます。