「表に出ろ!」
ある飲み会で怒鳴り始めた、私と同じ歳のオッサンがいいました。
いい年こいた、初老のオッサンが、何かは分からないけど、勝手にプライドをキズ付けられたと怒鳴り出したのです。
なんでもこの男、水道屋さんの社長をしているらしいのですが、宝塚市でね。
私は「この男、何を一人で怒鳴り始めたのだ?」と笑ったのですけれど、笑われたのに、更にプライドをキズ付けられたらしくガチギレです。
これでは『ガラスのプライド』ではないですか。
私はその場では取り合わなかったのですけれど、後日、「なぜあんなに怒鳴り散らされたのか?」と思い出されました。
猛烈に私側を責め、私から見るとどうでも良いことにあんなに激怒した理由は、自身を正当化できるのはどうしてか、に疑問があったからです。
そこに突然、「ははあ、プライドを高くする、理由があったのか!」と言うものにきが付きました。
それには、「俺は苦労をしていて、お前より偉い! そんな俺を、お前がバカにするな!」という点です。
『苦労をした』と言うのは個人的な、極々個人的な話でしかありません。
隣を歩いていた他人が、足の小指をぶつけて涙を流しても、私には『全くの他人事』だからです。
ところが「苦労」という経験は高いプライドを生みやすく、「俺は苦労をしているから無条件に偉くないと、苦労が無駄になってしまうじゃないか!」と言う頑張りを作り出します。
何故なら、昔の私が『プライドの塊だった』と思いだしたからです。
思い出してみると、怒りっぽい人には『私は苦労をしたから、平均より偉い』という考えがありがちです。
健匠館のお客様でも、そのような方には注意をして扱います。
でもプライドとは、「強いストレスの正当化」でしかありません。
自身のストレスが、未熟さとは認めたくないのです。
プライドの高さが気になった方は、ご参考になるかも知れません。
プライドの異常な高さは、自身の幼さの現れという面があるのです。