いつもいつも、
お酒を飲んでいても、
お風呂に入っていても、
下手をすると夢の中でも
一日中考えていたことがあります。
それは
「どうしてストレスで症状が出るのか?」
ということです。
強い心配事で
胃が痛くなることがあります。
激しい怒りで
クビが回らなくなることもあります。
しかし、ストレスがあったって、
体まで辛くする必要はないと思うんですよね。
個人的な感覚としては、ですけど、
なにもそこまでするかよ、
って。
本当はどういうメカニズムなのか、
摂理というか、処理というか、
法則が働いているのかなと、
いつも考えていたわけです。
まあ、ほとんど趣味ですが(笑
以前は、
自分では処理しきれない感情のエネルギーが、
そのはけ口を探した結果、
「症状化」することによって、
そのエネルギーを開放しているのではないか?
と考えていました。
しかし、どうやら少し違うようです。
というか違和感というか、
何か違うような気はしていました。
そうじゃないよな、
と。
半年ほど前に、
治療していて気付いたことがあります。
そして、ある結論に至りました。
それは、
症状を引き起こしていると思われる感情と、
症状によって引き起こされる感情とは、
かなり似通ったものになっている
という事です。
例えば「子供のことが心配」というストレスで、
「胃痛」で苦しんでいたケースを考えてみましょう。
自分の子供に対し、
「あの子、学校で大丈夫かな」
という気持ちが強すぎて、
「私はもうこれ以上、この気持に耐えられないんじゃないか」
という気持ちがストレスです。
一方、胃痛はどうかというと、
胃が痛すぎて、
「私はもうこれ以上、この痛みに耐えられないんじゃないか」
のように感じているんです。
つまり
「私はもうこれ以上耐えられないんじゃないか」
という部分が一致するわけですね。
実は心と感情は、
同じことを表現しているんじゃないかと。
同じ「想い」を表現するにも、
詩人は言葉で、
ミュージシャンは音楽で、
画家ならば絵で表現する感じでしょうか。
ストレスとは
精神的な苦痛を指します。
痛みとは
肉体的な苦痛を指します。
つまり個人を襲う苦痛に対して、
それを精神側が負担するか、
肉体側が負担するのかの違いで、
実は肉体面と精神面に同時に出ているのではないかと。
ストレスというのは、
苦痛を受けた精神面からの、
痛みを感じているような気がします。
痛覚や不快感というのは、
外傷・器質的変位や違和感などを受けた、
肉体からの感情表現のように思うんです。
そう考えると、
精神と肉体は一つのもの、
ではなく、
互いが寄り添う形の相関関係
と呼ぶべきかも知れません。
よくあるじゃないですか。
大事な家族や友人の話を聞いて、
一緒に怒ったり、
一緒に悲しくなったり、
一緒に苦しくなったり。
そんな状態が
実は心と体の関係性ではないでしょうか。
心にとって、
体のことは他人ごとではありません。
一方、体にとっても、
心の問題は他人ごとではないんですね。
心が怒っている時は、
体も一緒になって、
体感を通すことによって、
体も必死に怒ってくれているんです。
悲しみも
苦しみも
辛さも
不安も
惨めな気持ちも
こだわりも
全て一緒になって感じているわけですね。
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